前回までは、ベンチャー経営者が大抵ぶつかる「30人の壁」について書いた。そろそろ話題を変えようかと思って、ツクルバの取締役に何の話題がいいか聞いてみたところ、若手の育て方がいいと言われた。若手をどう育てたらいいのかと考えているベンチャー経営者にも、成長のきっかけがつかめないでいる若手たちにもためになるんじゃないか、と。

例によって、「あの頃のリクルート」がどのように新人を育てていたのかを私自身の体験を交えて書くことにしようと思う。これこそがリクルートが「人材輩出企業」と呼ばれるようになった原因のひとつだと私は思っている。

僕が新人のとき

1981年4月1日、リクルート銀座8丁目ビルが竣工した。その日、椅子も机も入っていないがらんどうのビルの11階ホールで僕たちの入社式・配属発表が行われた。
僕が配属されたのは、総務部人事課採用担当新卒採用チーム。課長はNさん、僕の教育担当は、当時入社5年目で新卒採用チームリーダーのUさんだった。僕の初仕事は、本社ビル竣工披露パーティーの地下駐車場係。1日中地下の西銀座パーキングにいたら、排気ガスで鼻の穴が真っ黒になった(笑)。

その後しばらくは本社の引越しの手伝いと、時々先輩にくっついてアルバイト学生に会っていた。時間ができると、自分の机に座ってぼーっとしながら、先輩から仕事を頼まれるのを待っていた。課やチームの目的・目標をちゃんと考えていないから、何をしたらいいのかわからなかったんだ。

初めての担当、そして・・「お前はどうしたいんだ?!」

確かゴールデンウィークが明けた頃だと思う。僕は、東京以外に東北地方の大学生・高校生の採用と、Uさんがメイン担当の採用ツール(入社案内や会社紹介ビデオなど)の作成を担当することになった。
ある日、Uさんから入社案内作成の中の一部分を担当するように言われた。もうそれが何だったか思い出せないくらいの小さな仕事だったんだろうけど、
「高野、これを担当しろ」
と言われたときはうれしかった。事実上の初仕事だ。勇躍、自分の席に戻り、よーし!と気合が入ったところで、ふと気がついた。
何をどうしたらいいのか、さっぱりわからない。そこでUさんの席に行って聞いたんだ。
「先ほど言われたこの仕事ですけど、どうしたらいいんですか?」
するとUさんは言った。
「お前はどうしたいんだ?!」

「どうしたらいいですか?」は責任転嫁

これが人材輩出企業の魔法の言葉のひとつだとは露知らず、僕は聞き返した。
「どうしたいもこうしたいも、どうしたらいいのかわからないんです。どうしたらいいか、教えてください!」
僕の心の中には、Uさんは僕の教育係なんだから、教えてくれないのはおかしいという気持ちがあったに違いない。
ところがUさんは烈火のごとく怒り始めた。
「責任転嫁する気か!」
そんな気はありません、とびっくりして答える僕に対して、Uさんは言った。
「お前は担当者だろう!担当者が『どうしたらいいですか』と聞くのは責任転嫁だ!」
Uさんはなおも続けた。
「それに対して俺が、最初にこうして、次にこうして、それができたらこうするんだ・・と答えたら、その通りにやるんか?それで失敗したら、誰の責任になる?これを責任転嫁って言うんだ!」
「人に相談するときは、『僕はこうしたいんですけど、どう思いますか?』と聞け!・・それでも担当者か!(怒)」

Uさんの言いたいことがやっとわかった。
担当者が「どうしたらいいですか?」と人に聞くのは責任転嫁なんだ。

それで仕事が面白いんか?

落ち着きを取り戻したUさんは言った。
「人に相談するときは、『僕はこうしたいんですけど、どう思いますか?』と聞け!」
「それに第一、人に言われたとおりにやって、それで仕事が面白いんか?」

仕事が面白いかどうかなんて考えたこともなかった。
Uさんの言いたいことはわかったが、結局どうしたらいいのかわからず、相変わらず途方にくれる僕だった。これがリクルートに入社した新人全員が受ける洗礼だということを知る由もなく。。。


高野 慎一

Shinichi Takano

株式会社リクルートにて人事・広報を経て、株式会社リクルートコスモス(現コスモスイニシア)の上場プロジェクト発足に伴い同社へ出向・転籍。不動産流通・賃貸事業で管理職を務め、2006年、同社執行役員に就任。グループ戦略室長・総務人事グループ長を兼務。同社の株式上場、管理部門創設、バブル崩壊後の不動産賃貸事業の黒字化、リーマンショック後の日本初の事業再生ADRなどで中心的な役割を果たす。株式会社ぎょうせいを経て、現在は日本交通株式会社取締役。2015年10月よりツクルバに参画。

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